2025/03/14 14:27

もし、今年の11月9日に「来月の12月3日を、新年の1月1日とします。」と政府から発表があったら大変な騒動になると思いますが、
実際、明治5年(1872年)にそれは起きました。
月の運行をベースにした「太陰太陽暦(太陰暦)」から太陽の運行をベースにした「太陽暦」へ変更されたのです。
改暦が公に発表されてから施行されるまで1ヶ月もありませんでした。
それは日本人が月のリズムと共にあった生活を手離した瞬間でした。
それまでは1日が新月で15日前後が満月という、夜の明るさがそのまま日付に直結するカレンダーでしたが、明治6年からは太陽の運行と、キリストの復活祭をベースにした現在のグレゴリオ暦へと変更されたのです。
日本人はそれまでずっと月齢と二十四節気(地球が太陽を一周する時間を24で区切ったもの)で生活や文化を育んできました。
月はおそらくは水に影響を及ぼすことから、多岐にわたって自然のバイオリズムを作り出しており、潮の満ち引きや出産、種まきや木を切る時期などに影響を与えています。
日本人は自然に親しむ生活の中で経験的にそのことを感じ取るのが得意な民族だったように思います。
こういう日本人の自然に対する信仰や精神性が育まれたのは日本の温暖な気候がもたらす美しい四季と豊かな森、その山が作る水や多様性にあふれた動植物の存在など自然環境に恵まれた地理的条件が背景にあったからかもしれません。
月の形に応じて十日夜、十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜と呼んで、神仏を祀って月の出を待つ風習もありました。
庶民に深く根付いていた神仏混淆の信仰と自然を愛でるくらしのあり方は日本人の精神文化そのものでした。
昔の人が「いつも月夜に米の飯」と言い表すほどに灯のない時代、暗い夜を明るく照らす月光が米の飯と同じくらいありがたいものだったことが伺えます。
そして秋の収穫はお団子とともに、月に供えて感謝します。
太陽も水も作物を育てる上で絶対的に重要なのに感謝を捧げるのはなぜ月だったのでしょう?
地球の地軸の傾きが安定しているのは月の引力によるそうですが、もし地軸が安定していなかったら規則正しく四季がめぐることはありません。
四季があるおかげで計画性のある農耕が可能となり、秋に収穫の時期が巡ってくるのはお月様のおかげということになります。
そういう科学的な理由を知っていた訳ではないと思うのですが、昔の人はどういうわけか理にかなったことをしているものです。
それに比べて今の私たちは、今夜の月が何時ごろどんな形でどの方向に出てくるのかさえ、すっかりわからなくなりました。
東の空に三日月が輝くことはありえないとか、月の形の違いで山の端から出てくる光の様子も違うとか昔の人なら当たり前に知ってることを知る人はいなくなって、
月見が話題になるのはスーパームーンや十五夜、皆既月食のときくらいになってしまいました。
日本人から月が遠くなって150年が経ちますが、国が旧暦を官報で公布することはなくなったものの、今でも地域の伝統行事などは旧暦で行うところもあるので、民間レベルで維持されて使われています。
天保(1844年)から使い続けてきた旧暦(天保暦)ですが、実は2033年に破綻する事態になっています。
どう工夫しても天保暦 の決まりごとをうまく構成できず、落とし所を見つけて切り抜ける案が4つほど出ているようです。
これを2033年問題と呼んでいるのですが(「2033年問題」で検索すると出てきます)この問題をやり過ごせたらまた秩序を取り戻しますが、奇しくも各方面で人類の岐路になるような目安の年と重なるようなので、2033年を無事に迎えて、無事に乗り越えていけるかどうかは、今後のわたしたちのあり方次第なのかもしれません。
月の運行をベースにした「太陰太陽暦(太陰暦)」から太陽の運行をベースにした「太陽暦」へ変更されたのです。
改暦が公に発表されてから施行されるまで1ヶ月もありませんでした。
それは日本人が月のリズムと共にあった生活を手離した瞬間でした。
それまでは1日が新月で15日前後が満月という、夜の明るさがそのまま日付に直結するカレンダーでしたが、明治6年からは太陽の運行と、キリストの復活祭をベースにした現在のグレゴリオ暦へと変更されたのです。
日本人はそれまでずっと月齢と二十四節気(地球が太陽を一周する時間を24で区切ったもの)で生活や文化を育んできました。
月はおそらくは水に影響を及ぼすことから、多岐にわたって自然のバイオリズムを作り出しており、潮の満ち引きや出産、種まきや木を切る時期などに影響を与えています。
日本人は自然に親しむ生活の中で経験的にそのことを感じ取るのが得意な民族だったように思います。
こういう日本人の自然に対する信仰や精神性が育まれたのは日本の温暖な気候がもたらす美しい四季と豊かな森、その山が作る水や多様性にあふれた動植物の存在など自然環境に恵まれた地理的条件が背景にあったからかもしれません。
月の形に応じて十日夜、十三夜、十五夜、十七夜、十九夜、二十三夜、二十六夜と呼んで、神仏を祀って月の出を待つ風習もありました。
庶民に深く根付いていた神仏混淆の信仰と自然を愛でるくらしのあり方は日本人の精神文化そのものでした。
昔の人が「いつも月夜に米の飯」と言い表すほどに灯のない時代、暗い夜を明るく照らす月光が米の飯と同じくらいありがたいものだったことが伺えます。
そして秋の収穫はお団子とともに、月に供えて感謝します。
太陽も水も作物を育てる上で絶対的に重要なのに感謝を捧げるのはなぜ月だったのでしょう?
地球の地軸の傾きが安定しているのは月の引力によるそうですが、もし地軸が安定していなかったら規則正しく四季がめぐることはありません。
四季があるおかげで計画性のある農耕が可能となり、秋に収穫の時期が巡ってくるのはお月様のおかげということになります。
そういう科学的な理由を知っていた訳ではないと思うのですが、昔の人はどういうわけか理にかなったことをしているものです。
それに比べて今の私たちは、今夜の月が何時ごろどんな形でどの方向に出てくるのかさえ、すっかりわからなくなりました。
東の空に三日月が輝くことはありえないとか、月の形の違いで山の端から出てくる光の様子も違うとか昔の人なら当たり前に知ってることを知る人はいなくなって、
月見が話題になるのはスーパームーンや十五夜、皆既月食のときくらいになってしまいました。
日本人から月が遠くなって150年が経ちますが、国が旧暦を官報で公布することはなくなったものの、今でも地域の伝統行事などは旧暦で行うところもあるので、民間レベルで維持されて使われています。
天保(1844年)から使い続けてきた旧暦(天保暦)ですが、実は2033年に破綻する事態になっています。
どう工夫しても天保暦 の決まりごとをうまく構成できず、落とし所を見つけて切り抜ける案が4つほど出ているようです。
これを2033年問題と呼んでいるのですが(「2033年問題」で検索すると出てきます)この問題をやり過ごせたらまた秩序を取り戻しますが、奇しくも各方面で人類の岐路になるような目安の年と重なるようなので、2033年を無事に迎えて、無事に乗り越えていけるかどうかは、今後のわたしたちのあり方次第なのかもしれません。
